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[第34回] 特許表現の選択


加油!

みなさん、こんにちは。校閲担当のIです。

その昔「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通標語(?)がありましたが、国土が東西に長いせいか日本は決して「せまい」国ではないようにも感じます。夏の「盆」にしても、一般的に「お盆休み」とは8月中旬頃を指しますが、私が生まれた東日本の一部では7月の「海の日」あたりが盆の時期に当たり、お墓参りはこの頃に行ないます。盆は昔からある習慣ですが、それでも国内で1か月程度の差があるのですね。

東京と大阪の立ち食いそば屋さんでただ「たぬき」とだけ注文した際の店員さんの反応は異なる、と聞いたことがあります。東京なら「おそばですか? うどんですか?」と聞き返されるのが普通だが、大阪ならそのまま注文が通り、油揚げの乗ったそば(=東京で言うきつねそば)が提供される、と。

つまり「きつね/たぬき」とは、東京では具(油揚げか揚げ玉か)の違い、大阪では麺(うどんかそばか)の違い、をそれぞれ表すとのことで、従って大阪では「たぬきうどん」という注文は理論上成立し得ないのだそうです。(そもそも大阪の立ち食いそば屋さんでは「揚げ玉」は事実上かけ放題なので、素うどん=かけうどんを注文してこれをかければよいだけ。)

日本国内ですらこのような地域差があるのですから、「日本」と「中国」となるとさらに異なりが大きかったりもします。顔立ちや使用する文字の類似性をいったん横に置いて障壁なきコミュニケーションを取ることが、相互理解にはもっとも効果的ではないかな、とこの頃思います。

さて今回は、校閲者としての経験談の第四弾、「特許表現の選択」についてお話します。

特許文書独特の用語

前回お話した通り、入社前の私は特許文書とは「非情緒的」な文言の羅列、と誤解していましたし、またそれと合わせて「特許文書には特有の「特許用語」があり、それを把握しなければ仕事にならない」との思い込みもありました。(まぁ、これは半分は当たっていたのですが…)

以前「コーパス」についてもお話しましたが、プロジェクトは私が入社した時点で既に1年以上経過していたため、コーパスに蓄積されているデータも大量でした。したがって原文の技術用語の訳語を見つけること自体はあまり苦労しなかったのですが、OJT中のあるとき「見つかった訳語(日本語)の意味がわからない」という問題が生じました。

ある文献の、要素Aと要素Bの関係を説明する文章中の原文に「接触」とあり、訳文ではこれに「当接」との訳語を当てていました。「接触」を「当接」と翻訳した前例はコーパスで確認できたのですが、「当接」の意味がわかりません。「当たって接続?」程度の見当しかつかず、インターネット上で「当接」を検索してみたのですが、具体的な解説が見つからず、せいぜい前述した見当と同様の説明くらいしか得ることができませんでした。

「特許文書で使われる語句であることはコーパスの結果からも明らかだし、こういう特許用語をなるべく使用したほうがよいのかな」と思う一方、「当接」を検索した際、この語句に関連した判例などもヒットしたことに不安を感じたため、OJT担当者にどう判断すればよいか相談しました。

すると、OJT担当者からの指示は、以下の4点でした。

  • 「当接」以外の訳語を検討する。
  • 文献に添付されている図などを参照して、問題の箇所が実際にはどのような状態であるのか把握する。
  • コーパスで「マイナス検索」を行なって、他の用例がないか確認する。
  • マイナス検索の結果と問題の箇所の状態を比較して、最も適切な表現を選択する。

「マイナス検索」とは、コーパスで検索する際に検索結果から除外する文字列(ここでは「当接」)を指定して、検索結果に表示されないようにフィルタリングすることを指します。

「当接」以外の訳語を探す目的で上記を実施してみると、まず文献に添付された図や文献の他の箇所の説明から、要素Aがピストン状に移動することによって構造内で要素Bに接触していることがわかり、これを前提にコーパスのマイナス検索の結果を検討するとどうも「突き当たる」という訳語が最も近いのではないか、と感じたため、そのように校閲してOJT担当者に提出しました。

これに対してOJT担当者から「問題ない」と評価されたのですが、ではそもそも「当接」とは何であったのかとの疑問が残ったので質問してみたところ、こんな解説をしてくれました。

  • 「当接」は古くから特許文献で使用されていることは確かである。
  • 一方でおそらくは特許文献のための「造語」である可能性があり、したがって「広辞苑」などには掲載されていない。
  • 私見だが、一見汎用性が高そうだが、その分意味する範囲が非常に曖昧である。
  • それであれば、原文の意図を訳文に正確に反映させるために、原文の言わんとしていることを把握して、日本語として適格な訳語を使用したほうが校閲の姿勢としては正しい。

「客観性」

今回の場合、原文は「接触」で、これを日本語で「接触」「接する」又はそれこそ「当接」と校閲しても「間違い」ではなかったであろうと、経験を積んだ現在では思います。「突き当たる」には別の中国語の単語を使用可能なため(「碰上」かな?)、発明者があえて曖昧な表現を使用した可能性もあります。しかし、「あえて」この表現を使用したのかどうかを校閲者が直接発明者に確認することはできないので、文献の記載や図などから判断可能な範囲でより適切な表現に校閲することが校閲者の姿勢、というOJT担当者の私見は、すなわち現在の私の意見でもあります。

OJT担当者からは、ここで難しいのはその一方で校閲者の「あえて」も存在してはならないという点だ、とも教わりました。重要なのは「客観性」で、内容が文章から掴みにくい場合、添付図を参照して「機械的」に状態を判断することが「客観性」である、とも。

これ以降私は、「当接」に限らず、客観的に判断してより適切な訳語が存在するのであれば、なるべくそちらを採用するように心がけるようになりました。実際、この点に関しては納品物に対するお客様のチェックでもスコア(点数)に反映されるような指摘を受けたことはありません。(「当接」のママでも問題ないですよ、というアドバイスをいただいたことはあります。)

ただ、お客様が校閲品質をどのように考えているかは、それぞれのお客様によって異なるため、品質責任者やプロジェクトマネージャーから適切な情報を受ける必要はあります。私が参画していたプロジェクトは幸いにもこの体制が堅実で、コミュニケーションもスムーズであったため、お客様の要望を早期に把握することができました(ので、OJT担当者も私見と言いつつも、それがお客様の要望と近似である自信があったのでしょう)。

今回学んだこと

このことから、特許文書翻訳文校閲の基本「その4」として

文献から「客観的」な判断につながる情報を取得し、それに合わせた適切な表現を「特許文書の専門的表現」であるかどうかにこだわらずに採用する

ことが必要である、と学びました。

当然ながら曖昧さが少ない用語や特許文書のフォーマットに使用される語句はまた別です。たとえば「ローラで圧潰する」「開口部に枢結された蓋部」なども特許用語臭がかなり強いですが、意味する範囲は比較的狭く、誤解を招きにくい語句です。このような表現は実際にコーパス上での用例も多く、また「マイナス検索」でヒットする代替表現も少なかったため、ためらいなく採用することができました。

一方で「当接」などはそれが意味する範囲がやや広く、またコーパス上の代替表現やバリエーションが多く、したがって読者の誤解を招く可能性が高いと判断できます。そういった経験に裏打ちされたOJT担当者の明快な説明によって、私は「特許文書なのだから特許文書の従来の表現に固執しなくては」という呪縛から解放されたのでした。

次回は、「お客様の仕様に即した」校閲に求められるものについてお話ししたいと思います。


筆者プロフィール

東京出身。

中国語に関心を持ったのは、小学校時代に転居先の東南アジア某都市で華僑宅にあった華字新聞やカセットテープの歌詞カードの中国語を見て「漢字だけで全部表現できるなんて面白い言葉だなぁ」と思ったのがきっかけ。

以来、中国語との付き合いは数十年。「語学は、長く関わっているだけじゃ上達しない」ことを実感。