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中国と中国語のエキスパート

[第29回] 日本語表現の選択


加油!

みなさん、こんにちは。校閲担当のIです。

7月に京都で大変痛ましい事件が起こってしまいましたが、京都アニメーションが制作したアニメはみなさんもご存知のように海外でも非常に高く評価され、ファンも多いです。そのうちの中国・香港・台湾のファンが京アニを激励する意味でウェイボーやツイッターなどに「京阿尼加油!」(「京阿尼」=京アニ)と書き込み、これが中国語を知らない一部の日本人から誤解を招き批判されるという出来事がありました。中国語の「加油」の意味は「頑張って (cheer up)」なので、ガソリンを用いた放火を煽ったわけではありません。

このような、日中における漢字の意味(ニュアンス)の異なりは枚挙にいとまがなく、これらをまとめただけで本が一冊成立してしまうほどです。同文同種と言いますが、歴史や風土、風習の異なりが当然ながら存在するものなので、「字が同じ」というだけで無批判に同一の感覚を共有できるものではない、ということですね。

さて今回は、校閲者としての経験談の第三弾、「日本語表現の選択」についてお話します。

ひょうたん飴

特許文書と関わって意外に感じたのは、特許文書にも「情緒的」な表現が割合に存在することでした。今でも印象的に覚えているのは、確か簡易トイレの発明に関する明細書の「発明の効果」項目にあった「この発明によって中国東北部の寒村に光がさし、子どもたちの悲嘆な表情が笑顔に変わる」という一節です。特許文書は非情緒的(理論的)な表現のみが登場するという思い込みが私にはあったのですが、前述したような発明をアピールする文章以外、例えば発明の核をなすような表現にも情緒的なものを発見することがあり、認識を改めました。

さて、前回「カニューレ」の誤訳を指摘されたお話をしましたが、同じ文献内に(カニューレとは別の)同一かつ複数の構成要素がそれらを貫通する支持部材を中心にして連なっている状態を表す文章がありました。そこに、

(構成要素が)「糖葫芦」状に連なる

という表現が登場し、翻訳者は「糖葫芦」を「ひょうたん飴」と翻訳していました。「糖葫芦」とは中国ではありふれたお菓子で、冬になるとこれを屋台で販売している光景をよく見かけます。(ちなみに、中国語の「糖」には「飴」の意味もあり、「葫芦」は確かに植物の「ヒョウタン」のことです。)

私は特許文書と言えば何かを厳密に「規定」する内容だと思い込んでいたので、「糖葫芦」状という一種ユーモラスかつアバウトな表現が登場したことにやや戸惑いつつ訳語が妥当かどうかの調査を開始しました。(当業者の方なら御存知の通り、「曖昧」な表現もまた必要な場合がありますよね、実際には。)

しかし前回お話した「コーパス」で「糖葫芦」を検索してもヒットせず、辞書サイトをあたってもこれといった訳語が見当たらず、さりとて「糖葫芦」を画像検索してみても「ひょうたん」とは異なる形状に見えるし…でも、原文に「糖葫芦」とある以上、そのとおりに翻訳したものでなければ「誤訳」になってしまうのでは、と判断して、「カニューレ」同様そのまま提出しました。結果、前回の「カニューレ」と合わせてダメ出しを受けました。

日本語にない表現

OJT担当者は、パソコンの画面上に文献の記載内容とネット上の「糖葫芦」の画像を両方表示させた上で、

「これは「串団子」と校閲しましょう」

と言い、続けて

「たしかに原文に「串団子」とは書いていない。しかし、この特許文献の訳文の読者は日本人だから、「(中国の)ひょうたん飴」と言われてもなんのことだかわからないし、文献の記載内容と比較しても「ひょうたん」だと形状が異なるから誤解を招く恐れがある。こういう場合は原文の文字の意味に拘泥せず、同じ意味を持つ他の語句に置き換えましょう。画像のこの状態を「串団子状」で表す前例はコーパスにもあるし」

と説明しました。

私が中日校閲の難しさを最も感じたのは、実はこの部分です。辞書的に一対一で置き換え可能な語句はそれこそ辞書やコーパスで事足りますし、難解な専門用語も信頼可能な日本語のサイトなどを活用して根拠を得る(時間がかかりますが)ことができます。

しかし、今回の「糖葫芦」のように、ある形態を形容するのに用いられる物が日中で異なる場合、中国語の語句を忠実に翻訳(校閲)してしまっては、中国と異なる文化背景を持つ日本人読者に意味が正確に伝わらないので、日本語で慣用的な表現に置き換えなければなりません。そのためには「翻訳能力」よりも「語彙力(日本語の引き出し)」「発想力(ある意味「頓知」)」が必要とされるのですが、この力は中国語の学習で得られるものではなく、また「日本語ネイティブ」だからといって当然のように持ち合わせているものではありません。

私はこれ以降、対応方法として、日常において「言葉」に対するアンテナを高感度に維持し語彙を増やす、また一方で「頭を柔らかに」を意識して校閲する、の二点を実行することを心がけました。しかし、一朝一夕では身につかず、それ以降もぎこちない訳語をOJT担当者やチェッカーに見事な訳語に添削されるたび「敵わない」と嘆息したものでした。

あ、「百聞は一見に如かず」ですよね、これが「糖葫芦」です。

[百度(Baidu)での画像検索結果]
百度(Baidu)での画像検索結果

一目瞭然ですが、日本の「串団子」とほぼ同一の形状であることがわかります。

今回学んだこと

このことから、特許文書翻訳文校閲の基本「その3」として

語句を「直訳」するばかりではなく、場合によっては日本人読者にとってわかりやすい表現に置換する

ことが必要である、と学びました。

どちらかの文化にしか存在しない語句を一対一になぞらえて「一対ゼロ」と言うことがあるそうです。技術用語は辞書上で一対一の訳語を確認できることが多いのですが、「糖葫芦」は辞書でも説明しか掲載されていない「一対ゼロ」の語句で、そうなると原文の言いたいことを破壊しない範囲で他の語句に置き換えるほかありません。(もっとも、訳語がどうにも見つからない場合は「説明調」の訳語を捻出したこともあります。) しかし、このようにしないと、「確かに原文の語句を忠実に翻訳しているが、読者にはなんのことだか意味不明な文章」が発生してしまうことになります。

また、中国語学習者や中国生活の経験者は、であるからこそ使用したくなる語句や表現が存在したりもします。一例として今回の「糖葫芦」も、どのようなものであるか知っているからこそ、例えば「サンザシ飴」のように校閲したくなるかも知れません。(中国生活経験者同士ならおそらくこの訳語で、何を示すか理解できる可能性が高いです。) しかし、そうでない方々からすれば「サンザシ飴」も「ひょうたん飴」同様に意味不明なものです。

ここにきて、例えば私であれば、中国語学習者であるからこそ持ち得る正しい「視野」を校閲に活用して高品質な成果物を生産することが求められる、ということを遅ればせながら理解したのでした。

次回は、「特許明細書」の校閲に求められるものについてお話ししたいと思います。


筆者プロフィール

東京出身。

中国語に関心を持ったのは、小学校時代に転居先の東南アジア某都市で華僑宅にあった華字新聞やカセットテープの歌詞カードの中国語を見て「漢字だけで全部表現できるなんて面白い言葉だなぁ」と思ったのがきっかけ。

以来、中国語との付き合いは数十年。「語学は、長く関わっているだけじゃ上達しない」ことを実感。