中国語の翻訳ならモシトランス

株式会社モシトランス
中国と中国語のエキスパート

[第8回] 訳語が持つ影響力


あと1週間!

みなさん、こんにちは。技術担当のTです。

早いもので、GWまであと1週間になってしまいました。来週の土曜日から、多くの方が10連休の初日を迎えると思いますが、予定は立てていますか?

私はまだ何の予定も決まっていません。10連休なんて滅多にない機会ですから、のんびりと車の旅に出たいなと思いつつ、いつものように直前まで何も決まらなさそうです。

さて、第8回は、前回に続いて、先日の北京出張の際に驚いたことをご紹介いたします。

中国特許業界の重鎮を訪問

北京出張の最終日に、北京オフィスから車で1時間程度のところにある提携先の知的財産事務所を訪れました。

この事務所を経営されている崔先生は、中国で最初に英語の特許を中国語に翻訳し始めた、中国特許業界の重鎮とも言える方です。1980年代初頭から特許業界に関わっていらっしゃいますので、特許業界歴は40年近くにもなり、加えて、弁護士など多数の資格もお持ちです。

朝9時半にお約束していたのですが、予定よりも早く着いてしまったので、9時過ぎからオフィスに入れていただき、たっぷり2時間も貴重なお話をお聞かせいただきました。

特許と翻訳

自国で特許を出願した後(もしくは出願する際)、日本以外の各国でも同じ内容で特許を出願することは、特に珍しいことではありません。PCT国際出願制度を利用する場合、各国で個別に特許出願するのに比べれば、手続きがかなり簡素化されるものの、最終的には各国の特許庁が指定した言語の翻訳文を提出する必要があります。また、各国の特許を調査するとなると、自分で理解できる言語に翻訳されていない場合は、翻訳をする必要があります。

このように、特許と翻訳は、切っても切れない関係にあります。

訳語が思想に影響する

崔先生曰く、中国では特許出願時に弁理士が翻訳をすることが多く、彼らは翻訳のプロではないため、訳質はあまりよくないとのことです。そのため、翻訳された文章がとても読みにくく、書かれている技術を理解しづらいので、専門家が翻訳すべきだとおっしゃっていました。

崔先生は、中国の特許業界における誤訳がもたらす影響についても話をしてくれましたが、これが実に興味深い話でした。

日本語の「知的財産権」は、元々は英語の「intellectual property rights」という概念が日本に入ってきた際に作られた造語です。当時の日本人が考え抜いた後に充てた訳語ですが、崔先生は「実に適切な訳語だ」と高く評価していました。

英語の「intellectual property rights」は、中国語では「知识产权(=知識財産権)」という訳語で定着してしまったそうです。なんと、米中貿易戦争の根本的な原因に、この訳語が影響しているというのですから、驚きです。

どういうことかと言いますと、「知識」は共有するものであり、「権利」は侵害してはいけないものであり、「知識財産権」という訳語には矛盾が含まれていると。中国は社会主義国家なので、公的財産はあっても私的財産は認められていなかったという背景と合わせ、英語の「intellectual property rights」は共有すべき「知識」であり、そもそも権利を主張する方がおかしいだろという考え方が一般的なんだそうです。

「知識」と捉えるか、「知的財産」と捉えるかで、英語の「intellectual property rights」に対する考え方は、がらりと変わります。そりゃ、中国と米国で意見が噛み合わないはずです。

だから、崔先生は英語の「intellectual property rights」を、より忠実に表現した日本語の「知的財産権」は素晴らしいと評していました。中国でも「知的財産権」という訳語で定着していれば、今のような米中貿易戦争にまで発展しなかった可能性だってあります。訳語が国民の思想を変えてしまうほどの影響力があるということに、とても驚きました。

中国語になった日本語

これ以外の例も交え、崔先生は「日本は翻訳が正しく、訳語が参考になる」と話を続けてくれました。例えば、「哲学」「科学」「xxxx化」は、日本語がそのまま中国に輸出され、中国語として定着したんだそうです。

このことを知らなかった私は、崔先生にこう伝えました。

その昔、文字を持っていなかった日本人は中国から漢字をいただき、文字として記録に残せるようになった。その漢字を基にひらがなとカタカナが生まれ、日本固有の文化が形成された。仏教も中国を経由して日本に届けられた。長い間、日本は中国からいろんなことを教えてもらったのに、その日本が漢字の言葉を輸出していたことに、とても驚いた。

これに対して崔先生は、こう答えてくださいました。

現代の中国語は、日本語から非常に影響を受けている。明治以降は、中国から日本に多くの人が留学して学んだ。日本は明治維新までずっと農業社会だったのに、僅か30年で工業社会/商業社会に移った。中国はまだ完全に工業社会/商業社会になっていない。例えば、法整備など、日本から学ぶことは多い。「政治」「経済」「社会」「革命」「親子」の全てが日本語で、今は中国語として定着している。

明治時代を生きた先人が、欧米から入ってきた新しい概念を日本語に翻訳し、それが今では何の違和感もなく定着しています。それだけではなく、漢字を授けてくれた中国に逆輸入され、中国語として定着しているというのが、非常に感慨深かったです。

明治時代の先人に感謝すると同時に、日本人であることを誇りに思えた、そんなお話でした。

おまけ

崔先生のお話を聞いた後、みんなで一緒にお昼ご飯を食べたのですが、親王家の邸宅を改装したレストランに連れて行っていただきました。広大な敷地に昔ながらの建物をそのまま残し、昔の北京を疑似体験できました。もちろん、美味でした!

[写真]
広大な敷地の中には、綺麗な庭園と数々の歴史的な建物があり、店員さんはみんな民族衣装を着ています。
[写真]
中にはこんな豪華なお部屋も!

筆者プロフィール

広島出身。

大学進学を機に上京し、それ以来、ずっと東京在住のため、既に人生の半分以上が東京都民になってしまったが、広島の心は忘れていない(つもり)。

新卒で米国系IT企業の日本法人に入社した後、外資系企業を中心に何度か転職をし、現在に至る。

モシトランス東京では技術担当として、社内のIT化や体制づくりに奮闘中。

2級ファイナンシャル・プランニング技能士。