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[第38回] 同時通訳の現場 in China (2) : 英語をめぐる日中二国間会議の事情


はじめに

みなさん、こんにちは。品質担当のSです。

前回に続き、同時通訳に関するプチ連載の第2回目です。今回も、やや引き締まった感じになる常体(=である調)を使ってみます。

今回のテーマ

前回は、中国人と日本人のみの医療関係者の参加にも係わらず、英中と日中のリレー同時通訳で行われたシンポジウムの様子を紹介したが、今回も、前回と同じ会議の様子を紹介しながら、思うところをつらつらと書いてみようと思う。

日中間で行なわれるいわゆる日中交流会などといった場合は、参加者も講演者も日本人と中国人だけということで、本来日中2ヶ国語間の同時通訳で済む。

私は日中通訳者なので、中国語と日本語間での通訳が必要とされる場合に呼ばれる訳だが、日本人と中国人だけの会議なのに、何故か英中通訳者も用意されているというケースが少なからずある。これが今回触れたいテーマである。

日本人と中国人だけなのになぜ英語?

前回紹介したケースでは、プレゼンターである日本人ドクターのN氏が「発表は英語でしかやらない」と言ったからというのが、英中同通者が用意された理由だった。

ただ最近は、科学系或いは技術系の専門家たちは様々な国際会議に出席するということもあるだろうから、プレゼン資料が世界共通語とされる英語で作成されていても、なんら不思議はない。そして、その英語のプレゼン資料を使って各国でプレゼンする。

それに加え、ドクターNの場合は、海外での経験が長く、普段から英語を使ってアメリカで授業を行なったり、国際的なプロジェクトチームに参加していたりするため、英語の方がプレゼンしやすいということがあったのかもしれない。

しかし、あくまで一般論だが、日本人であればプレゼンにしろスピーチにしろ日本語で行なう方が自然なことのように思われる。このケースの場合、主催者側が「スライド資料は英語ですが、発表は日本語で行なうということで問題ありませんか?」と一言確認を取っておけば、おそらく余程の理由がない限り、ダメということにはならなかっただろう。そうすれば、英中の通訳者は不要になったのではとも思うのだが。英中の通訳者を用意しなくて済めば、会議全体のコストも抑えられるし(注: 余計なお世話などと思ってもらっては困る。実は中国の場合、これが通訳者の報酬に如実に反映されるのだ!)、我々日中通訳者も値切られなくて済む、と考えるのは私だけか?

でも、実際のところ現場では、ドクターたちは使いたい言語を使いたいように使っていた。プレゼンを英語で行なったドクターNの場合は、ディスカッションでは日本語で話していたが、中国人ドクターのパネリストが質問を英語で行なったため、ドクターNもそれに合わせて英語で対応した。言語がいずれか1ヶ国語に完全に切り替わってしまう場合はまだいいが、中には中国語で話していたかと思うと途中から英語に替え、突然また中国語に戻したりと、パネリストによってもまちまちで、そんな時は頻繁に同通ブースの切替を行なわなくてはならず、煩雑な作業が増えることになる。

なまじ、英中同通者がいるためかと勘ぐってしまいたくなるが、コーディネータがお客様に対して事前に参加者の使用言語に関する申し合わせと注意を徹底しておけば、確実に避けられた事態である。

他にも事例が

別の事例も紹介しておく。

以前、通訳業務の依頼を請けた日中の金融関係会議でのことだが、この会議でも、“参加者は英語で話すことを望むかもかもしれない”という主催者側の“勝手な”思い込みと“余計な”気遣いで(あくまで“結果的には”という意味でだが)、日中と英中の同時通訳者各2名が用意されるということがあった。

しかし、実際の会議では、誰一人英語を使うことはなく、英中の同時通訳が行なわれることもなかった。結果的に、無駄なコストが発生したのだが、これは、主催者側と通訳派遣会社との間における情報共有、事前確認の不備によるところが大きい。通訳者に支払われる報酬に影響していなかったことを願うばかりだ。

筆者の考える理想

私がよく担当する日中の自動車関係の会議では、日本側のスライド資料等は元々英語で作成されている。同じ資料を使って、その他の国際会議にも参加するからだ。一方、発表自体は日本語で行なわれるというのが通例である。

日中同時通訳者である私から見て理想とされる日中間会議の形とは、サブタイトルに絡めて言えば、こんな感じだ。

  1. その会議では、各会議参加者が使用する言語を1ヶ国語に限定し、且つそれが徹底されていること。
    • 概ね、各会議参加者の母国語を想定。例えば、日本人なら日本語、中国人なら中国語。
    • もちろん、主催者側から各会議参加者に対して、事前の確認或いは申し入れが必要である。
  2. その会議では、通訳業務に必要とされる全ての情報が、我々同通者に事前に提供されていること。
    • 主催者側は、その会議の主旨と全体の流れをよく把握しておくこと。
    • また、主催者側は通訳派遣会社と事前の打ち合わせを行ない、きちんと情報共有をしておくこと。
    • そして、主催者側は通訳派遣会社を通じて、我々同通者に必要とされる全ての情報を事前に提供すること。
  3. その会議では、プレゼンやスピーチがある場合、その資料や原稿が主催者側から通訳派遣会社を通じて、我々同通者に事前に提供されていること。
    • なお、当該資料や原稿が、英語等の当該会議において通訳対象とされている言語とは直接関わりのない第三の言語で作成されたものであった場合は、中国語或いは日本語に訳されたもの若しくはその両方が必要である。

しかし現実は

ところが、現実はこうだ。

  1. 会議参加者は、主催者側から特段、指示や注意がなければ、話に熱中し、好きな言語で自由に喋る。
    • このような国籍の異なるスペシャリスト同士が出席する会議では、世界共通語ともされる英語が飛び交うのも、ごく普通の光景ともいえる。
    • で、前回紹介した医療系会議のケースも含め、たいていは、参加者の方に非はない。(つまりは、コーディネータ側、あるいは主催者側の事前対応に不備がある。)
    • なので、現場で通訳者が臨機応変に対応するしかないということになる。(臨機応変と書くと聞こえはいいが、実際は結構あたふたとしている。)
  2. 主催者側は参加者の応対に気を取られ、往々にして同通者のことにまで気が回らない。
    • これに輪をかけて、殆どの翻訳派遣会社は、同通者と業務委託契約を交わしたあとは何もしない。
    • 彼らは通訳者側からの申し入れや要求がない限り、何もすることはないと思っている。それが中国の多くの通訳派遣会社に共通する認識だ。
    • で、結局のところ、同通者がコーディネータ役も強いられているというのが実情である。割を食うのは常に同通者だ。
  3. プレゼン資料やスピーチ原稿の提供は、概ね遅く、ひどい場合は現場入り当日ということもある。また、英語で作成されているにも係わらず、翻訳されないまま提供されるということも多い。
    • 提供するお客様側は、英語だから問題ないだろうという認識なのかもしれないが、それはちょっと違うだろうと思うのだが。
    • 確かに、英語は世界共通言語とも言われ、広く利用されている言語ではあるが、それを理由とし、翻訳されていないものをそのまま提供するというのは、提供する側の甘えだと思う。
    • 英語の翻訳という行為が対価の発生する業務として成立している以上、英語を中国語或いは日本語に翻訳するという作業が発生するということは、我々日中の同時通訳を生業とする者にとっては、守備範囲を超えた行為ということだ。このあたりの認識を取り違えないでいただきたいと思う。

そんな現実に対してどうする?

かくのごとき状況のもと、例えば、事前にプレゼン資料やスピーチ原稿の提供がない、または英語版しか提供されない、会議に関するアジェンダも提示されないといった場合に、中国の日中同時通訳者が取る対応は、おおよそ次の2つのタイプに分かれる。

  1. 猛者タイプ
    • こんな状況にあっては、予習や下調べなどはしようにもできないと割り切って、初見で同通を行なう。
    • このタイプの人間は、現場でのパフォーマンスが悪くてもそれは自分の責任ではないと考える。これはこれで、1つの見識ではある。
  2. いわゆる粘着質タイプ
    • 現場で発生し得るどんな状況にも対応できるよう予習は必須と考え、そのためなら主催者側や通訳派遣会社に必要な情報の提供を積極的に、且つしつこく要求する。
    • このタイプは、大概、面倒くさい奴だと煙たがれる。そして不幸なことに、その方が結果的には三方に益をもたらすのだということが、認識として共有されているケースは実に少ない。

筆者の考え

およそ、通訳という業務に対する中国通訳業界全体の認識水準は未だ低く、それが通訳を利用する側の認識不足を助長している。受注を獲得するため“お客様は神様である”よろしく、お客様の言うことに唯々諾々(いいだくだく)と従い、それが、翻訳も含め通訳業界における価格競争を招き、翻訳者や通訳者に低賃金労働を強い、製品や業務の品質低下を生む要因ともなっている。言うべきことは言い、ダメなものはダメとはっきりさせるべきである。己が生業とする技能、職業にもう少し矜持というものを持ってもらいたいと思うのは私だけか?

ただここで、ひとつ留保をつけておかなければと思うことは、英語は国際的な公用語であり、第二言語としての英語の使用者数はネイティブのそれも含めれば20億人とも言われており、今や世界共通語とも認識されている言語であるということ。ましてや、この手の学術系会議においてはをや、である。

で、言いたいことのポイントは何かというと、このような国際的背景に鑑みれば、いかなる言語の同時通訳者といえども、英語は同通レベルまでとはいわないまでも、習得必須言語として心得、日頃よりその習得を心掛けて然るべきなのではないかということ。これは自らへの戒めとしてということでもあるが。そうすれば、先にも紹介したような事態にも、慌てふためくことなく対応出来たのではないかと思う。

ずいぶん乱暴な意見かとも思うが、如何?

或いは、このようにも言うべきか。単純にいえば、英語力はないよりあった方がいいに決まっている。英語の習得は自分のスキルアップともなる。英語力を自分が有するプラスαの価値として考えれば、もしかしたら使い勝手の良い同通者として依頼が増えるかもしれない。ただ、そのことを以て、時間単価が上がるとも現状考えにくい。となればそれは、中国の通訳業界における価格競争の別の側面を反映するものとして、現状に埋没していくだけのことようにも思われるが、如何? と。

話がサブタイトルとは若干それた感じがしなくもないが、はてさて、“英語の出来ない日中通訳者は使い物にならない”とされる日が来るのか。

いやその前に、AI技術の発展により、人を介した通訳行為そのものが淘汰される時代の方が先にやってくるかも。

今回は、この辺で。


筆者プロフィール

北京出身。

大学進学を機に来日し、大学卒業後は日本で某大手商社に入社。学生時代も含め、通算16年あまり日本で暮らす。

現在、モシトランス北京では品質担当の責任者として、モシトランス東京では創業メンバーとして、北京と東京を行き来する忙しい日々を送っている。