今回は通訳篇
みなさん、こんにちは。品質担当のSです。
前回に続き、これまで行なった自動車広告関係の仕事のお話ですが、今回は通訳篇です。
これから登場する関係者を、おさらいしましょう。
- 自動車メーカーA (日本と中国の合弁会社の場合が多い。)
- 広告代理店B (経営者は中国人で多くは海外経験あり。スタッフは現地中国人の場合がほとんど。)
- 翻訳会社C (当社のことです。)
もちろん三者間の契約書なんてものはありませんが、同じ現場にいることが多いのと、仕事の流れによる力関係もわかりやすいと思いますので、このようにしておきます。自動車メーカーAも広告代理店Bも、特定の1社を表しているわけではなく、基本的にはこの組み合わせで仕事が進んでいくという意味で書いています。
ちなみに、これから書くのは、すべて中国本土での話でございます。決して、日本の話ではありませんよ。
広告分野通訳を初体験
まだフリーランサーだった頃、ある日、登録していた翻訳会社のエージェントから電話をもらいました。
X月X日の午後、自動車関係のウィスパリング同時通訳。
1時間程度で、訳を聞かせるのは日本人1人だけ。
事前に資料はないけど、そんな難しい内容ではないと思うよ。
行ってくれますか?
じゃあ、X月X日の午後、指定した場所へ行ってください。
フリーランサーとしての経験が浅い頃だったので、当時はとりあえずなんでも引き受けようと考え、それ以上は何も決めず、指定された時間に指定された場所に行きました。会場に着くと、そこで初めて、中国側は広告代理店であること、日本人はトヨタの天津工場から来た方だとわかりました。会議が始まって数分たらずで冒頭の挨拶が終了し、「では、弊社の方案を一通り見ていただけますか?」と広告代理店の中国人社長が言ったかと思うと、突然プロジェクターから広告の企画案らしきものが映し出されて、PowerPointで作られた文字やら画像やらが私の目の前に飛び出してきました。
同時通訳なので、戸惑っている暇はありません。とにかく耳に入ったことを急いで頭の中で整理して、私が知ってる日本語をフルに使いまわして、通訳をしました。
もうプレゼンの内容はうろ覚えですが、中国の道教の教えからなんらかのアイディアが生み出され、それを自動車の宣伝のコンセプトに置き換えていくようなものだったのかな。かかわった分野は宗教、文化、人々の性格、車の使用習慣など、まったく予想しなかった話が展開されました。私はフォーラムのような大型会議でしか使わない硬い用語をすらすらと口から出すことができず、途中から崩して一般人がしゃべるような会話口調にしました。そして、わからない単語があれば、プレゼンターのスピーチを中断してでも説明するような形をとりました。この時点で、もはや同時通訳と言えませんけどね。
プレゼンの終盤に差し掛かったところ、なにやらキャッチフレーズらしき言葉が何度も映し出されました。頭では「ここはミソですね、オチですね」とわかっていながら、いい言葉が見付からなかったのですが、以前、日本のテレビでよく聞いたキャッチフレーズを急に思い出し、とっさに口からこんな言葉が出てきました。
なんというか、日本のTVコマーシャルでよく聞く、いつかはクラウンって気持ちがありますね。
それを聞いた日本人は、堪えきれなかったのか、クスっと笑ってしまいました。(古いのはわかってますが!)
会議が終了したあと、日本人が広告代理店の人に、
これからの通訳は、彼女にしたらいいよ。とてもよくわかりました。
と珍しく通訳のことについて触れていたので、ああ、これはきっと先ほどとっさに機転を利かせて、口にしたキャッチフレーズに救われたのだろうと思いました。中国側のお客様も満足した様子でした。彼らにとって、まったく途中で止めることなく同時通訳をやるより、大事なところをちゃんと説明してもらいたいという思いもあったのでしょう。
事前になんの背景知識もなく、なんの会議資料も持たずに通訳することは、中国語で「裸翻」(Luo Fan)と言います。ベテランになればなるほど、「裸翻」は恐ろしくてできないことです!
同時通訳のパフォーマンスは、資料全部揃えた場合を100だとすると、まったくない場合は30くらい、よく知っている内容でも70程度だと言われています。1ヶ月かけてきっちり準備したスピーチと事前にテーマも背景も知らない即興との違いって考えれば、なんとなく分かっていただけるかな。
また、「裸翻」は、いくら他人からよくできたと褒められても、通訳者本人にとっては最高のパフォーマンスを出せていない、即ち、聞いた言葉のすべてを正確に訳せていないので、不完全燃焼に終わった気分になります。
今思えば、あの頃は経験が浅かったので、恐れを知りませんでしたね。
提案通訳?
私は、2015年に友人と翻訳会社を立ち上げました。前回、触れたように、私のビジネスパートナーの大学時代の同級生が、ある広告代理店の経営者でした。その広告代理店から、提案書の翻訳と提案通訳がセットになった仕事を2-3年頂きました。すべて、自動車の広告提案でした。
ちょっと話が逸れますが、ここでの「提案」という言葉は、まぎれもなく日本語での使い方です。中国では本来、「提案」というのは国家レベルの会議(日本で言う国会等)で、人民代表から組織に対して出すものを指していて、他の分野では使わないはずだったのですが、なぜか広告分野ではよく使います。
本来「提案通訳」という通訳分野は存在しませんが、同じスタイルの仕事が多いので、広告代理店の人間も、翻訳会社の人間も便宜上、「今週金曜日に提案があるため、同時通訳が必要」といったやり取りをしています。
広告提案って?
私たち(翻訳会社C)は、広告代理店Bから依頼を受けているので、広告代理店Bがどのように自動車メーカーAから依頼を受けているのかは、よくわかりません。
広告代理店Bから翻訳会社Cへの依頼はいつも1週間未満という納期で、PowerPointで100-300ページの提案書を2-3日で翻訳し、終了した翌日または2日後くらいに提案のための同時通訳を派遣しなければならないという、非常にタイトな案件です。多くは、自動車メーカーAが入札を実施するため、広告代理店Bは数社あり、同じ日に自動車メーカーAが数社の提案を1時間ずつ聞くという流れです。
同時通訳というのは、本来2-3名体制の、同通ブースという小さな仮設ルームの中で、設備を使って20分間交代制で仕事をしています。
ウィスパリング通訳の場合、1-2名の聞き手の後ろに座って、囁くくらい小さな声で通訳をしていきます。通訳の時間が1時間を超えると、パワーが落ちるために、半日以上の会議の場合は、2名体制でウィスパリング通訳を行なうこともあります。ブースはなく、設備はあったりなかったりします。
そして、通訳の料金というのは、通常半日と1日という分け方しかしません。1時間でも半日の料金をいただきます。
初めはあまり経験がなかったので、「1時間しかないですよ、もっと安くして」と値切られると、承諾したこともありました。
実際に何度か仕事を受けてから、広告代理店Bが事前打合せを要求してきたり、自動車メーカーAが時間管理に甘くて決まった時間内に終わらなかったり、そして入札が抽選となった場合は、順番によっては1時間も2時間も待たされることもしばしばあることがわかりました。
さらに、前日か当日になって、突然に自動車メーカーAから「日本人は参加しなくなったから通訳は不要」という知らせが入ったりします。
そのために、現在弊社を含む翻訳会社Cは広告代理店Bに対して、
- 前日リハーサルを要求する場合は、追加料金が発生する。
- 当日の拘束時間が4時間を超えた場合も、延長料金が発生する。
- キャンセルの場合は、キャンセル料が発生する。
という取り決めを守っていただくようにしています。
広告代理店Bは自動車メーカーAからもかなり厳しい条件を受けているでしょうが、翻訳会社Cの厳しい条件もを呑めるくらい、年間億単位の広告制作費をもらっています。(この話は、次回の番外編で。)
話を戻し
さて、通訳の話に戻ります。
時系列で話しますと、先ずは本番会議前、広告代理店Bとの打合せです。
広告代理店Bも経験がなかった頃は、同時通訳を入れての発表がどんな感じかわかりませんから、前日のリハーサル参加を要求してきます。そういう要求に対しては、こちらから「当日本番前の1時間ではどうか」とお勧めします。4時間以内なら通訳費用で賄え、さらに通訳の方はそういう発表に慣れていますので、原稿さえ出来上がっていれば、通しでリハーサルをする必要もありません。
一方、入札の発表に慣れた広告代理店Bの場合、会議前20分~30分の打合せを要求してきても、プレゼンター本人は何の打合せをすればいいかわからないので、コーヒーを飲んで終わることもよくあります。ほとんどの通訳者は、何も言われないならただそのまま一緒にいるだけで、特に自分から何も言いません。
私の場合は、最低限、原稿の順番が変わっていないことを確認したり、ページ数は多いのですが、強調して喋るページと飛ばすページを聞いて印を付けます。また、時間の余裕があれば、気になっている箇所も確認します。経験上、広告代理店Bはそういうことを自ら言ってきた通訳者に好感を持ちます。(当たり前ですが、打合せを要求しても通訳者にどういうことを言ったらいいかもわからない若者に対して、こっちはベテランなので、リードします!)
そして、発表順番の抽選がある場合は、抽選結果が知らされます。時間が余っていれば、プレゼンターとお茶を飲みながら、順番待ちします。自動車メーカーAの待合室でお茶を飲む場合もあれば、近くのカフェを利用することもあります。
そして本番前に、自動車メーカーAの会議担当者がやってきて、通訳者には座る位置と設備のテストを指示し、広告代理店Bの担当者には資料の配り方、入る順番、座る位置を指示し、大体の流れを確認する意味で、もう一度説明します。
設備は通常ガイドさんが使っているトランシーバーが使われます。通訳者が身に着けて、スピーカーを通して話し、聞き手は受信機能しかないイヤホンをかけて聞きます。
同時通訳で、ブースを設けたり、専用の設備を使うのには、理由があります。
- 仮設ブースによって、周りの騒音と隔離する。
- 話し手の音声を収音設備を通して、ヘッドフォンから通訳者の耳に入れる。
- そうすると、その声を聞きながらマイクに向かって通常の声で話しても、同時に音声を聞くときの邪魔にならない。
ウィスパリングの場合は、1.のブースも2.のヘッドフォンもないので、もっと集中力を要します。たまに、プレゼンター用のマイクがない場合があります。さらに、通訳者用のマイクがない場合もあります。(トランシーバーすら渡されません。)こういう時は、周りで私語をしている人がいれば、仕方なく注意しますし、話し手には大きな声でお願いし、そして自分の声を聞き手が聞こえる最低限の声に調整します。
ごく稀に、同時通訳をその場で聞きたいという人がいますが、同じ音量で聞きながらしゃべることは母国語でも難しいから、そういう意地悪には応じません。設備が用意されていても、話し手がマイクに向かってしゃべらないときや声が小さいとき、通訳はできません!
提案の発表は45分程度で終わって、残り15分は質疑応答の時間ですが、ここからは逐次通訳に変えます。
そして、こうやって1時間の仕事がようやく終了します。
筆者プロフィール
北京出身。
大学進学を機に来日し、大学卒業後は日本で某大手商社に入社。学生時代も含め、通算16年あまり日本で暮らす。
現在、モシトランス北京では品質担当の責任者として、モシトランス東京では創業メンバーとして、北京と東京を行き来する忙しい日々を送っている。