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[第73回] 海外留学

今回のお題

翻訳プロジェクト担当のUです。

今回は、私の留学経験についてお話いたします。
ページ下部の「筆者プロフィール」欄に記載している通り、私は海外で過ごした時期があります。
中学卒業後、15歳~17歳を海外の高校へ通いました。
とくに英語が得意だったワケでも、英語が好きだったワケでもありません。
幼い頃から「将来は海外へ留学!」と親に言われ、その流れに身を任せての留学でした。

どこの国へ

留学先は、
 - 日本円が強い(=円高な国)
 - 治安が良い
を条件に選びました。
その結果、南半球の英語を公用語とする国へ留学することにしました。
アメリカ式英語ではなく、イギリス式英語の国です。
今振り返ると、とくに英語圏というこだわりは無かったと思います。

南半球に位置するので、四季が日本(北半球)と逆になります。
日本(北半球)が夏の時、南半球では逆の冬です。
留学先は、日本だと東北地方(秋田県くらい)の緯度でした。
(ちなみに、南半球では南に行くほど寒くなります。)
中学まで過ごした沖縄と比べるともちろん寒いですが、そこまで寒いとは感じなかったので、気候的にも良い国だと思います。

一学年は、2月に開始し、12月末に終了という期間でした。
年末年始(12月末~1月末)に長い休みがあるので、その休みを利用して年に一回帰国するという高校時代を過ごしていました。
この時期は、南半球での「真夏」になりますが、日本は冬です。
なので、高校時代は真夏を経験することはありませんでした。。。

海外なのに。。。

学生の割合は、
 6割:地元の学生
 3割:近隣の島国/アメリカからの留学生
 1割:アジア圏からの留学生
でした。
アジア圏からの留学生は台湾からの留学生が多く、日本人はごく少数でした。
1年目は、日本人を対象としたESLEnglish as a Second Language)クラスの方たちも複数いました。
その方たちは、日本で高校を卒業した後、一年間英語だけを学びに来た方たちです。
ESLクラスの方たちを含めると10名ほど日本人がいましたが、2年目以降は日本人は私を含めて2名のみでした。

とくに英語が得意だったワケでもなかった私です。
どちらかというと、苦手でした。
そんな私が、英語でコミュニケーションがとれるはずがありません。
そんな状況で、周りに日本人がいるとなると、
 海外にいながら日本人と過ごす
という「どうしようもないな日々」(?)を1年目は過ごしていました。
割合でいうと、日本語6割:英語4割という生活です。

環境のチカラ

私が英語を話せるようになったのは、2年目からでした。
物理的に
 同じ言語(日本語)を話す人間がほぼいなくなった
という状況の影響が大きかったと思います。
2年目からは、日本語0.5割:英語9.5割という生活です。

同じ言語だからこそ伝わりやすいニュアンスはたくさんあります。
なので、同じ言語話者と一緒にいるのは心地よいです。
ただ、それだと言語は身に付きません。
言語を習得するには、現地に身を置くことが効果的でしょう。
その際は、
 意識的に同じ言語話者から距離を置く
ことがポイントだと思います。

英語の授業は留学生クラスがありましたが、他の授業は地元の学生たちと同じクラスでした。
英語の授業といっても、週に二時間程度で、そこまで本格的な授業ではなかったと記憶しています。
日常の出来事をお互いに喋り合う程度で、単語を覚えたり、文法を学んだりすることは少なかったです。
担当教師が少し気まぐれなところがあり、学年はじめの当初は分厚い教科書で文法の授業をしましたが、そのうち教科書はほったらかしで「おしゃべりする時間」へと化していきました。

言葉が通じなくても友達はできるものです。
(きっと年齢的にお互いに「壁」を感じないのでしょう。)
日本語が通じる人が少なくなって日本語を口にすることが減り、英語話者の友達ができると、英語を話せるようになるには時間はかかりませんでした。

友達もでき、授業にもついていけるようになり、2年目からは無事に高校生活・英語生活を過ごすことができました。

留学のススメ?

高校卒業後は、日本の大学へ進みました。
そのまま海外で進学したかったのですが、諸事情により帰国しました。

12月末に帰国し大学が始まる4月までの四か月間、そして大学入学後の数か月間は日本語に苦労しました。
一年のうち約二か月は帰国していたものの、ほぼ英語環境で三年間過ごしています。
インプットからアウトプット(聞く⇒考える⇒話す)をすべて英語で過ごしてきたので、日本語がおぼつかない状態でした。
相槌やとっさの返答で、日本語が出てこないのです。
おそらく、思考回路が英語になっていて、日本語に調整されていない状態だったのではないかと思います。
「日本語脳」に切り替えるために、半年くらいかかったと覚えています。

帰国後、
 留学して良かった?
 留学は楽しかった?
とよく聞かれます。
答えはイエスです。
十代半ばで海外の文化に触れられたことは、とても良い経験ですし、私の財産です。

中学校を卒業したばかりで幼かったので、
 英語ができない
 異文化での生活が心配
ということを気にしなかったことが良かったと思います。
ただ今振り返ると、「海外へ行くのには若すぎたのでは?」という思いも少なからずあります。

①語彙力
どんな英単語でも辞書をひけば日本語は分かります。
しかし、ベースとなる母語の語彙力が乏しいと、日本語を読んでも意味が理解できません。
逆に英単語は分かるけど、日本語で何と言うか分からない単語も多くありました。
つまり、単に文字変換をするだけで、内容を理解しないのです。
若い時期に留学すれば吸収は早いでしょう。
ただ、ベースとなる母語の語彙の量しか他言語を吸収することはできないと思います。

 ②自文化の知識
高校生同士とはいえ、お互いの文化・風習には興味があるものです。
留学生に対して「あなたの国ではどうなの?」という投げかけは日常茶飯事です。
その時に「分からない」という返答をすると、そこで会話が終わってしまいます。
海外の方は日本人と比べて自文化の意識が高いと思います。
(当時の私自身があまりにも幼かったということもありますが。。。)
そんな中で「自分の国のことだけど、分からない」という答えは、どこか幼稚な気がします。
こんな言い方をすると少し「重い」かもしれませんが、自文化や風習を身に着けていないと恥をかきますし、他文化を理解するのに苦労します。

私の持論ですが、留学する際は、
 語学力はなくても良い(現地に行けば身に付く)
 自国の文化や風習の知識は必要(現地では身に付かない)
だと思います。

ここまで書いてきて、ふと翻訳と似ていると感じました。
翻訳では、もちろん語彙力が必要です。
そこに、ソース言語・ターゲット言語の文化・風習の知識をプラスすることで「生きた翻訳」につながるのではないでしょうか。


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筆者プロフィール

沖縄出身。

翻訳プロジェクトの新規開拓・提案・運用を担当しています。
進学を機に十代から沖縄を離れ、海外、名古屋、東京と転々としています。
特許事務所での経験、中国支社との連携を活かした翻訳サービスを日々思案中。