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[第60回] 中国伝統色彩学術年会の用語整理(4)


連載企画「中国伝統色彩学術年会の用語整理」の第4回目です。

今回は、中国人民大学の王文娟教授が発表された「道家の色彩観」についてご紹介いたします。
※「中国伝統色彩学術年会」については用語整理(1)をご参照ください。

王先生の発表内容

基本用語

中国語

发表概要
一、 道家老庄怀疑、解构、批判着文明的异化性,以期从文明桎梏中解放出来,是道家色彩观的逻辑起点。
二、 “虚”“无”“空”(素淡—黑白)色彩论是道家本体论色彩观之核心要旨
三、 道家色彩观对中国文人水墨画影响深远。

日本語訳

プレゼンの概要
一、道家の老子(ろうし)と荘子(そうし)は、文明の異化性を疑い、解体し、批判して、文明の束縛から解放されることを期している。これは道家色彩観の論理である。
二、「虚」「無」「空」(あっさりした白と黒)は、道家の色彩観のキーワードである。
三、道家の色彩観は、中国文人が描く水墨画に深い影響を与えている。

道家の色彩観念

中国語

一、 批判与解构:“五色令人目盲”
老子:五色令人目盲,五声令人耳聋,五味令人口爽,驰骋田猎令人心发狂。

日本語訳
(青字は現代文訳です)

一、批判と解体:「五色が目をくらませる」
老子曰く:「五色は人の目を盲ならしむ。五音は人の耳を聾せしむ。五味は人の口を爽(タガ)わしむ。馳騁畋猟(チテイデンリョウ)は、人の心を発狂せしむ」。
様々な色彩は、人の視覚を狂わせる。様々な音もまた、人の聴覚を狂わせる。様々な味は、人の味覚を狂わせる。狩猟は、人の心を狂わせる。

中国語

庄子:擢乱六律,烁绝竽瑟,塞瞽旷之耳,而天下始含其聪矣;灭文章,散五彩,胶离珠之目,而天下始人含其明矣。

日本語訳
(青字は現代文訳です)

荘子曰く:「六律を擢乱(てきらん)し、竿瑟(うしつ)を鑠絶(しゃくぜつ)して、瞽曠(ここう)の耳を塞(ふさ)げば、而(すなわ)ち天下始めて人ごとに其の聡(そう)を含まん。文章を滅ぼし、五采(彩)を散じて、離朱(りしゅ)の目を膠(にかわ)すれば、而ち天下始めて人ごとに其の明(めい)を含まん。」
六律六呂といった音調をかき乱し、竿(ふえ)や瑟(こと)を焼きすてて、師曠(しこう)の耳をふさいでしまったなら、そこで始めて世界中の人々は自分の本来の聴く力を内に持つことになるだろう。華美な飾り模様を捨て、様々な彩を消散させて、離朱の目を膠づけにしてしまったなら、そこで始めて世界中の人々は自分の本来の視る力を内に持つことになるだろう。

中国語

在孔子建构“礼”仪之邦的时候,老庄却在怀疑、解构着各家所持的价值观。嘲笑孔子,否定墨子。
老庄要唤醒众人对宇宙人生作根本性整体性的把握探索,向人的根本生存状况发问。
老庄所建构的哲学是“道”之哲学,他们的色彩观就是“道”之哲学的具体体现。

日本語訳

孔子が「礼」儀の国を構築する際に、老子と荘子は各流派が持っている価値観を疑い、その思想の構造を解体していた。孔子を嘲笑し、墨子を否定した。
老子と荘子は、宇宙における人生を根本的な本性としてとらえ、人間の根本的な生存状況を問い直す。
老荘思想が作った哲学は「道」の哲学であり、彼らの色彩観は「道」の哲学の具体的な体現である。

中国語

二、“虚”“无”“空”(黑白)——道家的本体论色彩观
老子把文明的罪恶归咎于人的汲汲有为,从而主张无为。
老子把“无为而无不为”提升为宇宙的根本原则,从宇宙生成来谈“道”:“有物混成,先天地生,寂兮廖兮!独立而不改,周行而不殆,可以为天下母。吾不知其名,故强字曰道。”
 “道生一,一生二,二生三,三生万物。万物负阴而抱阳,冲气以为和。”“天下万物生于有,有生于无。”

日本語訳
(青字は現代文訳です)

二、「虚」「無」「空」――道家の本体論色彩観
老子は文明の罪悪を人の汲む有為のせいにして、無為を主張した。
老子は「無為にして為さざる無し」を宇宙の根本原則に昇格させ、宇宙の発生から「道」を語った。
「物あり混成し、天地に先立ちて生ず、寂たり寥たり。独立して改めず、周行して殆あやうからず、以って天下の母と為すべし。吾(われ)其の名を知らず、これに字(あざな)して道という。」
天地が生じる以前に、混沌として区別のできない物がある。それは、寂寥としており、それ自身、独立(独自に存在)しており、新しくなるという事も無く、あまねく巡り巡って行き渡らないという事もない。以って、これを天下の母と為す。私はその名を知らないが、これを名づけて「道」という。

「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気を以って和を為す」
道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる。
万物は陰を背に負い、陽を胸に抱いて、その中間のゆらぎをもって和を為す。

「天下万物は、道の用はたらき)より生じ、道の用(はたらき)は道そのものより生ず」

中国語

老子跳出了人伦日用的礼,膜拜的是“虚”(“无”)。
面对儒家的文礼隆盛、五色绮丽,老子的努力是删繁就简,归根曰静。
老子说的黑白就是素淡的道之“虚空”本色,故而老子说“玄之又玄,众妙之门”。玄,深黑色,是《老子》中的一个重要概念。同时“玄”又有“变化”之意。
庄子也是崇尚纯白素朴,素淡 — 虚空之黑白。

日本語訳

老子は倫理礼儀から飛び出して、「虚」(「無」)を拝んだ。
儒家の文礼が盛んで、五色が綺麗であることに対して、老子は、煩雑を省いて簡潔に努め、その根底は「静」といった。
老子の言う白黒とは淡白な道の「虚空」のこと。そのため老子は「玄の又玄、衆妙の門なり」と言った。玄とは、深い黒のこと、これは「老子思想」における重要な概念である。また、「玄」には「変化」という意味も含まれている。
荘子もまた、純白で質朴、あっさりしている装飾、虚空の白黒を尊びいた。

中国語

三、道家色彩观对中国文人水墨画影响深远。
文人画的色彩之淡、水墨“黑白”是禅宗与儒家合力之结果,是由“色界”向“无色界”超越的一种形式,水墨画具有隐逸的批判性。
大一统的“势”却不能容忍“士”之气焰过于高涨以致威胁到王者的尊严及其统治,“政统”与“道统”之间就会产生必然的紧张,于是就会出现“穷则独善其身,达则兼济天下” 的士之进退。

日本語訳

三、道家の色彩観は中国の文人が描く水墨画に深い影響を与えている
文人が画く色彩の薄さ、水墨画に用いる「黒と白」は禅宗と儒教が合わさった結果である。「色の世界」から「無色の世界」へと超越した形である。水墨画には暗黙の批判性が含まれている。
統制ができている「勢(力)」は「士」の高ぶった気勢を許せず、王者の尊厳とその支配を脅かされることを危惧する。「政治的統制」と「道の思想の統一」の間には必然的な緊張が生じたため、「窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす(困窮の中にあってはただ自分を善く修養し、栄達したなら天下の人々をも善くしたのである)。」という「士」としての進退があった。

中国語

道家的解构批判而退守隐逸,是对主流社会的一种间距化或边缘化。隐逸批判作为一种文化现象是与专制社会里的反抗精神相联系的。隐逸可以使这个人物充分认识到自己内部所有的力量。隐逸代表着道德上一种积极的而不是消极的行动。唯‘独行’者有勇气和力量离尘绝俗,单枪匹马地代表着正义之道。

日本語訳

道家の解体と批判による守りに入った遁世は、主流社会に対して、距離を取り、周縁化した行動である。遁世で批判することは一種の文化現象として、独裁社会における反骨精神と関連している。遁世することで、人間に自分の内なる力を十分に認識させることができる。遁世は道徳上、積極的な行動であり、消極的なことではない。「一人で行動する」者のみ、俗世間から離れる勇気と力があって、単独行動は正義を代表している。

中国語

如 1279 年当南宋被蒙古人灭亡之后,文人画家郑思肖也同时是有名的宋代忠臣退而隐逸,画兰不画土,曰:“土被番人夺去也。”
扬州八怪中有一部分是丢官后到扬州卖画为生的文人,以“四君子”题材“以画言志”。表现了“当官不为民做主,不如回家卖红薯”的浩然正气。

日本語訳

例えば1279年に南宋がモンゴル人によって滅亡された後、文人画家であり、宋代の有名な忠臣でもある鄭思肖は引退して遁世し、蘭を画くが土を画かない、曰く「土は番人に奪われたのだ」。
また、揚州八怪のうち、一部の画家は職を失って揚州に絵を売って生活を営む文人であった。「四君子」を題材に、「画を以て志を語る」とした。「役人は民のために行いができなければ、家に帰ってサツマイモでも売ったほうがいい」という浩然正気を示した。

中国語

如果说儒家色彩观和唐宋皇家贵族气派的青绿山水之鼎盛有着特别的关系 ,那么水墨山水画的胜出就和道家色彩观(以及道庄化的禅宗色彩观)有着不解之缘。于是文人画家就要和宫廷画家堂皇富丽之彩色,也要和民间画工艳俗活泼之色彩拉开距离。在进退两难而终退隐以求静心的“文人画”家那里大多即以庄禅水墨黑白之境来护守人格,以臻心灵归宿。

日本語訳

儒家の色彩観と唐宋の皇室貴族スタイルの青や緑で描かれた山水画の最盛期と特別な関係があると言えるなら、水墨山水画は道家の色彩観(及びそこから派生した禅宗の色彩観)と切っても切れない縁を持つ。そのため、文人画家は宮廷画のような堂々たる色彩や、民間の艶やかで俗ぽい色彩と一線を画す必要があった。進退に窮まりつつも最終的には遁世して心を静めようとする「文人画」の多くは、荘子の禅思想である水墨画の白黒で自らの人格を守り、心の落ち着きを求めたのだ。

中国語

然中唐以后文士大多没有了原儒孔子至大至刚的气魄 ,也没有了庄子“挥斥八极”之气势,遂大多醉心于“空山无人,水流花开”的禅宗之境。禅宗是佛教的中道宗与道家哲学相互作用产生的。禅宗虽是佛教,同时又是中国的。

日本語訳

しかし、唐以降の文人は儒教の孔子のような大きくて剛直な気迫を失い、荘子のような気概もなく、多くは「人の居ない山や水流、咲く花」をモチーフに、禅宗の世界に酔いしれた。禅宗は仏教の中道宗と道家の哲学が合わさったもので、仏教でありながら、中国のものでもある。

中国語

最后,反抗性的强劲画风并非文人画的主流,文人画的主流依然是道家贵柔尚淡,即董其昌倡导的“落叶空山”“镜花水月”的南宗画,以王维、董源、苏轼、米芾、倪瓒等为代表。

日本語訳

最後に、反骨精神の強い画風は文人画の主流ではない。文人画の主流は依然として道家の品格ある柔らかさで淡白な色使い、即ち董其昌が提唱した「落葉空山」「鏡花水月」の南宗画で、王維、董源、蘇軾、米芾、倪瓚などが代表である。

今回は以上です。

次回は、西安美術学院の張楽副教授が発表された「正倉院蔵《鳥毛立女屏風》から唐代の紙と壁の絵画における色設定の秩序」についてご紹介しようと思います。

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筆者プロフィール

北京出身。

大学進学を機に来日し、大学卒業後は日本で某大手商社に入社。学生時代も含め、通算16年あまり日本で暮らす。

現在、モシトランス北京では品質担当の責任者として、モシトランス東京では創業メンバーとして、北京と東京を行き来する忙しい日々を送っている。