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[第43回] 特許に関するプチ回顧録


いつもとは趣向を変えて

みなさん、こんにちは。校閲担当のIです。

今回は、ちょっと趣向を変えて、このブログを執筆しながら思い出したことを2つお話します。

中国台湾

イデオロギーに深入りする意図はありませんが、特許文献から見える国情もあります。

ご存知かと思いますが、特許には「世界特許」があります。私たちが校閲していた文献にも、そのようなものがいくつかあり、中には台湾の企業が中国国内で出願した文献もありました。

さて、私たちの作業は通常校閲ソフトにセットされた本文のみをパソコン上で校閲していくのですが、必要に応じて「公報PDF」(PDF化された特許公報)を確認することもあります。あるとき某台湾企業の公報PDFを開くと、画像のような冒頭箇所が目に入りました。(あくまでも画像は例で、当時実際に開いたものではありません。)

[某台湾企業の特許文献の例]
某台湾企業の特許文献の例

項目(71)の「地址」(住所・所在地)に「中国台湾台中市」と記載されています。他の「台湾発」の特許文献もおおむねこのように記載されており、一部「台湾省新竹市」のように「中国」が入らない表記も存在します。

「中国(中華人民共和国、PRC)」と「台湾(中華民国、ROC)」との関係について深い知識はないので浅薄な解釈なのかもしれませんが、「中国台湾」とはまた絶妙な表記だと感じました。

中国の立場からすれば台湾は中国の一部なので、いちいち「中国」を付与する必要はないはずです。

一方「中華民国」を台湾では通常「民国」と略しますが、「中国」と略すことも文字上不可能ではありませんし、台湾には「中国輸出入銀行」「中国時報」という企業も存在します。(なお中国は、清朝の次の「中華民国」の正式な継承国は中国である、との立場なので、台湾が「中華民国」と自称することをよしとしません。)

つまり、中国としては立場上「台湾は中国の一部である」としたいが、さりとて「中華人民共和国台湾省」では実情と異なるので行き過ぎた表記になり、かといって「台湾・台中市」では「(独立した)台湾」を認めてしまうことになるため、中間妥協点として「中国台湾」という表記をひねり出したのかもしれません。

また、「台湾省」は中国・台湾双方が採用している表記です。(その「台湾省」がどこに属するか、は当然ながら立場が異なるのですが。) したがってこの表記は、中国又は台湾いずれの立場からも「問題ない」表記ということになります。

中国政府が海外の航空会社に対して就航路線図から「台湾」の文字を削除するよう要請するという出来事もありましたが、実は案外うまい落とし所を見つけているのかもしれませんね。

ナンプラーとパクチー

担当していた特許文献はIPC分類上「C」「F」「H」が多かったのですが、「A」セクションの「家禽、魚、肉の処理」がチームに回ってくることもありました。

これらの文献には「実施例」として調理方法が記載されていることが多く、私たち日本人には未知の食材が用いられている場合、訳語の調査に呻吟(しんぎん)したりもしましたが、また一方で少なくとも私にとっては化学や冶金よりは親しみやすい内容であるため、読んでいて楽しい文献が多いセクションでもありました。

あるとき他の校閲者から、

原文の「魚露」「香荽」を訳文ではそれぞれ「魚醤」「コリアンダー」としているが、これを「ナンプラー」「パクチー」と校閲してもよいだろうか。

と相談されました。

原文を読んでみると、発明自体はある淡水魚の処理方法で、その方法を使用して加工した淡水魚の調理例がいくつか記載されており、「魚露」「香荽」はそのうちの一つに材料として登場していることが確認できます。

さて、どうしたものか。「魚露」「香荽」を辞書で確認してみると、日本語訳はそれぞれ「魚醤」「コリアンダー」です。

また、「魚醤」も一般的には比較的馴染みの低い単語ですが、「ナンプラー」が「魚醤」よりも知られているかといえば、そうでもなさそうです。

したがって「魚醤」「コリアンダー」から「ナンプラー」「パクチー」へ積極的に校閲する必要はない、と感じたため、そのように回答しました。

ところがこの校閲者はこう言うのです。

他の調理例を読んでみると、断言していないけれども、どうも「中華料理」「フランス料理」の雰囲気を持った料理に調理しているように読める。「魚露」「香荽」が登場する調理例の材料に「辣椒(トウガラシ)」「酸果(タマリンド)」が含まれることから、これはもしかして「タイ料理」風の調理方法なのではないか。であれば、「ナンプラー」「パクチー」でもおかしくないような気がする。

そう言われて他の調理例を読んでみると、淡水魚を丸揚げにする調理例は中華料理っぽいですし、魚の切り身に小麦粉をまぶして「黄油」(バター)で焼く調理例はフランス料理のムニエルを彷彿させます。

「魚露」「香荽」が登場する調理例も、その材料や手順からどうやら「トムヤムプラー」(エビの代わりに魚を使用したトムヤムクン)のようなものができあがるように読み取れましたので、原文では特に「タイ式」とことわってはいませんが、発明者がタイ料理を念頭に置いていた可能性は確かにあります。

この校閲者の着眼点はユニークでしたし、発明者の意図に寄り添ってもいますので、「ナンプラー」に傾きかけたのですが、タイ料理なのだから材料名はタイ語というのも「飛躍」が大きいのではとの懸念が浮かび、やはり「魚醤」「コリアンダー」のままにしておきましょう、との結論に至りました。

思えば、「パクチー」は流行によって変わりやすい通称でもあるので、使用しない判断は正解でした。(ちなみに、以前は中国語由来の「シャンツアイ」という表記が多かったように思います。) ただ、状況的に「ナンプラー」でもよいのでは、という意見にはつい心情的にうなずいてしまいそうになったのが正直なところです。

身近であるだけに想像が広がってしまう食料品関係の特許文献は、作業していて楽しい反面やはり悩ましいものでもあります。


筆者プロフィール

東京出身。

中国語に関心を持ったのは、小学校時代に転居先の東南アジア某都市で華僑宅にあった華字新聞やカセットテープの歌詞カードの中国語を見て「漢字だけで全部表現できるなんて面白い言葉だなぁ」と思ったのがきっかけ。

以来、中国語との付き合いは数十年。「語学は、長く関わっているだけじゃ上達しない」ことを実感。