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株式会社モシトランス
中国と中国語のエキスパート

[第39回] お客様の仕様に即した選択


全世界50か国語に対応?

みなさん、こんにちは。校閲担当のIです。

私が以前勤務していたあるサービス業でのエピソードですが、店舗の宣伝ポスターを店頭に掲示することになり、そのポスターに支店長が「全世界50か国語に対応!」というフレーズを追加しました。「うちのスタッフでは日本語・英語・中国語・ペルシャ語しか対応できないですよ」と問うたところ「何言ってるの、中国語はマレーシア・シンガポールあたりはもちろん、カナダ・オーストラリアでも華人が多いから通じるでしょ。ペルシャ語だってイランやイラク以外にアフガニスタン・タジキスタン…英語は言うまでもないし、全部合わせれば50にはなるよ。」と返され昏倒しそうになったことを覚えています。

確かに、日本では「世界の公用語」は英語である印象が強いですが、文部科学省の調査では中国語話者が英語話者より多く、世界一なのだそうです。いわゆる「北京語」(標準中国語)でも地域によって多少異なりはありますが、通常の意思疎通であれば全く問題ありません。(ちなみに、台湾で使用されている「北京語」は「國語」「華語」などと呼ばれ、北京を中心に大陸で使用されている「北京語」とは語句や文法体系が若干異なります。)

そう考えると、支店長の「全世界50か国語」というのもあながち誇張ではなく、むしろ控えめな数字だったような気がしてきています。(理屈としてはどこか妙なのですが…)

さて今回は、校閲者としての経験談の第五弾、「お客様の仕様に即した選択」についてお話します。

請求項

OJT期間がある程度経過し時間的(精神的)余裕が多少生じた頃のことです。「特許文書に早く慣れよう」と思って休憩時間中に特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)で特許文書を手当たり次第読んでいたとき、ある疑問が生まれました。

「校閲マニュアルで指示されている請求項の形式と、J-PlatPatでよく見る日本国内の特許文書の請求項との形式が違う。なんでだろう?」

たとえば、こういうことです。

  1. 原文:
    • 按照权利要求1的方法,包括使用单元接收的数据。
  2. 校閲マニュアルに即した訳文:
    • 請求項1に記載の方法であって、ユニットが受信したデータの使用を含むもの。
  3. 日本国内の特許文書の請求項に即した訳文:
    • ユニットが受信したデータの使用を含む、請求項1に記載の方法。

コーパスで過去の用例を確認しても累積されているデータのほとんどが2.のスタイルです。政府に提出する書類の書式が自由であるはずはないのですが、さりとてマニュアルに記載がある以上、それで問題ないのだろうと自己解釈しました。

その後、この疑問は簡単に解消しました。OJT担当者との雑談中に、ふとこの疑問を思い出して質問してみると、OJT担当者いわく、

  • (おそらくは)コーパス上の書式を統一しやすくするために、原文の文法に即した書式で校閲(翻訳)するような仕様になっている。
  • もし、この書式で特許請求したとしたら、審査官が「形式が違う」と感じる可能性はあるが、このプロジェクトの目的はそれ(=翻訳した海外特許を特許庁に特許請求すること)ではないから問題ない。

とのことでした。このプロジェクト(事業)の目的は中国特許公報のアーカイブ化なので、前述した3.の書式で校閲(翻訳)を行なうと、お客様の要望にそぐわなくなってしまうのだそうです。「面白いところに気づきましたね、でも「仕様」が優先ですから」とOJT担当者は笑いながら続けました。

最優先は「仕様」の把握

この「請求項の翻訳スタイル」以外にも校閲者・翻訳者に求められる仕様は数多く、その全てを短期間で把握し切ることは容易ではありませんでした。チーム上層部もその点は理解していたため、仕様のうち、特に重要なポイントをまとめた簡易版マニュアルや定期的な勉強会の開催などを通じて、いろいろとサポートしてくれていました。まして、私のような特許校閲未経験者に「特許明細書とは」からレクチャーしなければならないのですから、上層部やOJT担当者の苦労も多かったと思います。

一方で、どれほど特許校閲の経験値が高かったとしても、お客様の仕様に合わない成果物を生産しているのでは、結果として未経験者と同様の品質で納品していることになってしまいます。その意味では、むしろ特許校閲の経験値がない当時の私のような校閲者のほうが「そういうものなのか」と比較的素直に吸収して、お客様の仕様(=要望)を遵守した作業を行ない得るのかも知れません。

その後、このプロジェクトのお客様の仕様は、年度ごとに更新されましたし、年度途中でも通達があって校閲マニュアルが修正されることが何度もありました。かなり大幅な変更もあったと記憶しています。それでも私自身がなんとか対応できていたのは、仕様が最優先であること・仕様変更はさらなる品質向上のためであることを理解していたからでした。

それは当然ながら、お客様の仕様こそが品質の最優先事項であり、ひいてはお客様に対して誠実に貢献すること(建設的な提案なども含め)こそがベンダー(サービス提供会社)の役割、との意識が私の周囲にあり、それに私を自然に溶け込ませてくれたからでした。

今回学んだこと

このことから、特許文書翻訳文校閲の基本「その5」として

お客様の仕様(=要望)が最優先であり、仕様を正確に把握した校閲によって品質を高める

ことが必要である、と学びました。

校閲の経験が全くない私でもOJT期間中に「国文法的にはこうでは?」と生意気な疑問を感じたことがあります。前述の請求項の形式にしても「早く慣熟したい」という思いの「勇み足」から生じた疑問だったのかも知れません。

ただこれらは、仕様とその目的・背景を正しく把握していれば、そもそも感じる必要のなかったことです。健全な批判精神や学習意欲を失うと悲惨ですが、タイミングが悪いと却って徒労に終わることもあります。そういった意味でも、お客様の仕様を早期かつ正確に把握することが、結果としてお客様にも校閲者にもwin-winになるように思います。


筆者プロフィール

東京出身。

中国語に関心を持ったのは、小学校時代に転居先の東南アジア某都市で華僑宅にあった華字新聞やカセットテープの歌詞カードの中国語を見て「漢字だけで全部表現できるなんて面白い言葉だなぁ」と思ったのがきっかけ。

以来、中国語との付き合いは数十年。「語学は、長く関わっているだけじゃ上達しない」ことを実感。